「着物」について

結婚式やお祭りごとなど、様々なシーンにおいて着られる「着物」。

本記事では着物のルーツから現代への変遷、そして着物のバリエーションに込められた意味合いや想いなどを紹介していきます。

 

着物のルーツ

 

起源は弥生時代から

 

今では華やかだったり凛とした印象の「着物(きもの)」ですが、その起源は弥生時代(紀元前300年~250年)であるといわれています。弥生時代では女性は布の中央の穴から頭を通して着る「貫頭衣(かんとうい)」とよばれるシンプルな衣服を着用していました。

 

この貫頭衣が着物の原型と呼ばれている「小袖(こそで)」というもののさらに源であるとされている説があります。

小袖とは袖口が小さな着物のことをさしており、平安時代(794年~1192年)の宮廷に仕える高位の女官が身に着ける「十二単(じゅうにひとえ)」の下に着るものでした。

平安時代における十二単

平安時代における成人女性の正装であった十二単。正式には「唐衣裳姿(からぎぬもすがた)」と言います。宮中などの公の場においての儀式など、晴れの装いとして用いられており、現代においても御即位の大礼の儀、皇族妃の御成婚の儀にも用いられています。なお、当時は禁色(きんじき)というものがあり、赤色、青色、深紫をはじめとした計7色は天皇から許可を得る必要があったそうです。

 

十二単という名前から12枚の着物を重ね着しているイメージがありますが、実は十二単という名前は重ね着を総称したものであり、必ずしも12枚というわけではありません。



鎌倉~江戸時代

 

鎌倉時代(1185年~1333年)からは武家が権力を持つ時代となったため、実用性を重視した衣服が好まれており、女性は小袖、衣、袴からなる「衣袴(きぬばかま)」が中心となっていました。

 

室町時代(1336年~1573年)からは町人や武家が身分や性別に関係なく袂(たもと)のついた小袖を着るようになり、「着物」という言葉も使われ始めました。

さらに、室町時代においては装飾への注目も高まり「博多織(はかたおり)」が編み出されたのもこの時代です。博多織はその丈夫さと美しさもあいまって着物の帯としても愛されました。

江戸時代(1603年~1867年)からは着物そのものの価値が高まり、着物を代々受け継ぐ風習も生まれてきました。女性の着物は自由であり、室町時代の終わりから装飾が施された小袖を着用していました。

藩制度の一貫で藩ごとの模様を装飾にするなど、着物時代が発展する中で「お端折り(おはしょり)」や帯の結び方である「太鼓結び」が生まれたのもこの時代です。



博多織(はかたおり) - 福岡県で作られている、たくさんの経糸(たていと)に数本の糸をまとめた太い緯糸(よこいと)を打ち込んだ絹織物。

お端折り(おはしょり) - 着物の身丈よりも長い部分を胴部でたくしあげた、帯の下方の折り返し部分のこと。

太鼓結び(たいこむすび) - 女性の帯において、背中に四角い面が出る結び方。

 

現代における着物の変化

自由な着こなしを楽しめるように

士農工商の身分制度が明治時代からなくなったことで、江戸時代よりもさらに着物は庶民にも普及していきました。

 

現代日本においても七五三や結婚式といった場で着物を身に着けたり、成人式においては「振袖」として豪華な着物を着て参加することも多くあります。さらに着物時代の着こなしも多様化しており、着物にレースやパラソルを合わせるなどの和洋折衷の着こなしも増えつつあります。

 

伝統的な衣服の一つでもある着物は、その形を受け継ぎながら着方の幅を広げているのです。

 

浴衣(ゆかた)

日本における夏祭りや旅館などでよく着られる浴衣。その起源は平安時代だとされています。当時の日本人は今のようにお風呂に浸かる習慣がなく、上流の人々は下着をつけて蒸し風呂に入っていました。そのため、お風呂を出たあとに汗を吸い取り乾かすために切られていたのが浴衣でした。

 

江戸時代中期には銭湯が普及したことで湯船に浸かる習慣ができましたが、お風呂に入ったあとのくつろぎ着などとしても着られるシーンが増えました。

 

現代においては伝統的な文様をあしらったものからカラフルなものまで様々なバリエーションの浴衣が作られ、夏祭りや花火大会など、お祭りごとにおいて着る習慣も広まったことで日本の夏の風物詩のひとつになっています。

 

袴(はかま)

もともと袴は平安時代の十二単として着用しており、身分の高い女性だけが着られる装束でした。

それらが実際に現代の袴のような形での認識が広まったのは明治時代(1868〜1912年)であるとされています。女学生たちが着物で授業を受けると動きづらいということから採用されたのが袴だったのです。

 

袴のプリーツには5本の襞(ひだ)があります。これは五輪五常の道を諭したものとされており、「仁」「義」「礼」「智」「信」を表しており、スポーツだと弓道や剣道などでも着用されます。

 

現代の日本では袴は卒業式で着られることが多くあります。着物と同じく袴の柄にも様々な意味がこめられており、門出を祝うにあたって想いや願いの込められた柄が入った袴を着ていました。さらに現代ならではのアレンジとして、革製ブーツを合わせたスタイルや髪に大きなリボンをつけたりと和装に西洋の要素をミックスし、さらにその幅を広げています。



着物の柄にこめられた意味

 

着物には様々な柄(文様)があしらわれており、その一つひとつに意味が込められています。見た目の美しさのみならず、シーンに合わせた意味合いも持ち合わせているのです。

こちらの記事でも一部を紹介します。

 

植物文様

(左から)

 

■松竹梅

縁起物として現代においても親しまれている「松」「竹」「梅」をあしらった柄。松や竹は寒さに強いことや、花を咲かせる梅から、忍耐や長寿、生命の誕生といった意味合いを持ち合わせています。

 

■牡丹

花びらが幾重にも重なるその美しさから「百花の王」とも呼ばれる牡丹。赤色を表す「丹」という文字も含まれることから、特に赤い牡丹は不老不死や長寿への想いがこめられているとされています。

 

■唐草

生命力の強い蔦草が絡み合うように描かれていることから、子孫繁栄や長寿の意味を持っているとされています。お祝い向けの着物や風呂敷などにあしらわれることが多くあります。

幾何学文様

(左から)

 

■青海波(せいがいは)

大海原の波を扇柄にして並べた文様。雅楽「青海波」が名前の由来となっており、これを舞う人はこの文様の衣装を身に着けます。広い海をイメージして未来永劫へと続く幸せや、平安な暮らしへの願いがこめられた縁起柄です。

 

■紗綾形(さやがた)

梵語の卍を菱型に変形してつなぎ合わせた文様です。不断長久の意味を持っているとされ、家の繁栄や長寿への願いがこめられています。別名「卍崩し」「卍繋ぎ」「雷門繋ぎ」「菱万字」とも呼ばれます。

 

■亀甲(きっこう)

長寿の象徴である亀の甲羅の形が由来の縁起柄です。六角形をつなげたものから発展して、六角形を二重にした「子持ち亀甲」、六角形の中に花をあしらった「亀甲花菱」などバリエーションが豊富となっています。

 

■矢絣(やがすり)

矢の上部に付ける鷹や鷲などの鳥の羽根を意匠化したもので、「的を射る」ことからも縁起の良い柄として使われてきました。

 

■鹿の子(かのこ)

小鹿の背中にある模様に似ていることが由来となっており、絞り染めの技法で作られている文様です。鹿は神の使いともいわれており、生命力や繁殖力に優れることから「子孫繁栄」の象徴ともされていることから縁起柄であることに加え、染める技術と手間がかかることから高級品にもなっています。

 

■市松(いちまつ)

色違いの正方形を交互に並べた文様で、柄が途切れないことから「繁栄」の意味がこめられているとされています。江戸中期の歌舞伎俳優の佐野川市松がこの文様の袴を愛用したことから「市松」の名がつけられたとされています。

 

動物文様

(左から)

■鳳凰(ほうおう)

中国神話に登場する伝説の鳥や霊長として知られている鳳凰は、平和や祝福、後期といった意味を持ち合わせているとされています。

 

■鶴

夫婦円満や長寿といった意味を持つ文様で、つがいの鶴は一生を添い遂げる習性から夫婦円満、鶴は千年といった言い伝えから長寿の象徴ともされています。

 

■蝶

その華やかさからも古くから親しまれており、普段着や礼装などさまざまな着物に用いられています。成長の様子から不死や立身出世の意味や、夫婦円満の意味も持ち合わせています。

 

風景・自然文様

(左から)

■流水(りゅうすい)

なめらかな曲線が重ねられ、流れる川をイメージした流水の文様は、魔除けや火除け、清らかさといった意味を持ちます。

 

■瑞雲(ずいうん)

縁起が良いことの前兆といった意味をもつ瑞雲は、神聖さといった意味も含まれます。

雲は雨を降らすことから実りや豊穣を意味し、平安時代においても縁起の良い柄として公家の装束などにも取り入れられてきました。

 

■雪輪(ゆきわ)

雪の結晶の輪郭が円形に描かれており、円の中に様々な文様を入れたり、雪輪を区切りにしたりとさまざまなバリエーションが展開されています。儚さや謙虚さといった意味や、豊作や豊穣の意味も持ち合わせています。

 

着物に欠かせない帯



着物にとって欠かせない装飾の一つが帯。

今でこそ様々な華やかな柄や文様が付いたものが多くありますが、昔は細い帯を結ぶだけでした。

 

実際に今よく使われている幅広帯の誕生は江戸時代からとされており、そこからさらに発展していって元禄時代(1688年~1703年)には九寸近い帯となり、現代の帯に近い形態へと変化してきたのです。

文庫結びなどの結び方が豊富になったり、帯締めを使うようになったのもこの頃からで、こうして帯が女装美の中心となりました。

 

文庫結び(ぶんこむすび) - 手紙や本を入れておく箱「文庫」が由来である帯の結び方。

 

まとめ



今回は「着物の歴史」について紹介しました。

平安時代から現代へとつながれてきた技術は、今では多様化が進み、今もなお和の美しさを楽しむための文化として受け継がれています。

 

それぞれの文様に込められた想いや願い、実際に着る人の美しさをさらに際立たせます。着物の美しさやそのバックボーンを大切に、これからも受け継いでいきたいですね。

Back to blog

Leave a comment

Please note, comments need to be approved before they are published.