だるまは、日本でもっとも広く知られた縁起物のひとつです。丸く、どっしりとした重心を持ち、ほぼ必ず赤い。家庭に、職場に、寺社の棚に、当たり前のように置かれています。しかし日本の外では、白い目をした赤い顔という視覚的なイメージだけが先行しがちです。その意味は、見た目よりずっと深いところにあります。
だるまとは何か

だるまは、禅宗の開祖とされるインド出身の僧・菩提達磨(ぼだいだるま)をかたどった縁起物です。伝説によれば、達磨大師は九年間壁に向かって座禅を組み続け、その間に手足が萎えたとも伝えられています。手足のない丸い形は、その逸話に由来します。
形には理由があります。だるまは重心が低く設計されていて、何度倒しても必ず元の位置に戻ります。この性質が、「七転び八起き」という言葉と結びつきました。だるまは飾り物ではありません。立ち上がり続けるという精神を、手で触れられる形にしたものです。
なぜだるまは赤いのか

赤という色の由来は、江戸時代にさかのぼります。当時、疱瘡(天然痘)が広く流行し、多くの人が命を落としました。赤には邪気を払う力があると信じられており、赤く塗られただるまが魔除けとして求められました。子どもの枕元にだるまを置く習慣もあったといいます。
現在はさまざまな色のだるまがあり、それぞれ意味が異なります。金は金運、白は清廉や目標の明確さ、黒は厄除けに結びつけられています。しかし赤が最も一般的で、もっとも伝統的な色であることは変わりません。
目入れの作法
だるまは両目が白いまま販売されます。願いを込めるときに片方の目を入れる。慣習では、向かって左の目(だるまの右目)を先に入れます。願いが叶ったとき、あるいは目標を達成したときに、もう片方の目を入れます。
この作法は、仏教における「阿吽(あうん)」の概念に由来するとされています。「阿」は物事の始まり、「吽」は終わりを意味し、サンスクリット語の最初と最後の音に対応しています。片目を入れることで願いを可視化し、両目が揃ったとき、それが完成したことを示す。誓いを形にする行為です。
なお、病気除けとして使われるだるまには、最初から両目が描かれているものも多くあります。
高崎と、だるまをつくる技

日本で流通するだるまの約八割は、群馬県高崎市で作られています。新幹線で東京から約五十分。二百年以上にわたって、だるまづくりの中心であり続けてきた街です。
高崎だるまには、他の産地にはない特徴があります。眉は鶴の形、髭は亀の形に描かれています。「鶴は千年、亀は万年」という言葉に由来する、長寿と繁栄への願いです。腹には「福入」の文字。両肩には「家内安全」「商売繁盛」などの金文字が入ります。文字の入っただるまは、日本でも珍しい部類に入ります。
一体一体、手作業で仕上げられています。和紙を重ねて形をつくる張り子の技法、漆を重ねた塗り、筆で描かれた細部。これらは省略のきかない工程であり、同じ街で、同じ方法で、世代をまたいで受け継がれてきた技術です。
高崎だるま市

毎年一月一日・二日、JR高崎駅西口前の通りが、国内でも有数のだるま市の会場になります。伝統的な赤いだるまのほか、干支だるまや色だるまなど、さまざまな種類が並びます。威勢のいい売り声が飛び交い、人混みと屋台の熱気が通りを満たす。静かな日本のお祭りとは少し異なる、賑やかな空気があります。
当日は無料のシャトルバスが運行され、高崎市内のいくつかの寺社を巡ることができます。
少林山達磨寺

高崎のだるまと最も深く結びついた寺院が、少林山達磨寺です。高崎だるまの発祥の地とも言われるこの寺では、毎年一月十五日に「だるま供養」が行われます。一年間の役目を終えただるまたちが寺の境内に積み上げられ、住職の読経とともに火が放たれます。三万体以上のだるまが炎に包まれる光景は、一度見たら忘れられないものです。炎の熱に触れた人は、一年間病気をしないと言い伝えられています。
達磨寺へは、高崎駅から信越本線で二駅の群馬八幡駅から徒歩約二十分です。
だるまが伝えるもの
だるまが興味深いのは、縁起物としての機能だけではありません。それが「物としてどうあるか」という点にあります。一箇所で、特定の人たちの手によって作られる。重心が低く、倒れても戻る構造を持つ。眉の形から腹の文字まで、細部に意味が込められている。そして飾るためではなく、使うために存在している。
これは、日本の優れた工芸品全般に通じる質です。素材に正直で、長く使われることを前提に作られ、時間をかけて理解が深まる。だるまはその縮図のような存在です。
だるまに込められた「諦めない」という精神、そして細部への誠実さは、日本の美意識と深くつながっています。
その考え方についてはこちらの記事で詳しく書いています。