日本の仮面を用いた演劇「能」とは?

「能」は、14世紀に成立した日本最古の演劇です。

印象的な仮面と美しい衣装をまとった演者が、優雅な曲に乗せた独特の動きで観客を魅了します。日本人独特の感性や文化を感じることができるおすすめの伝統芸能です。

能で用いられるセリフは現在の日本語とかけ離れているため、日本人ですら理解しがたい事が多いです。本記事では、セリフを理解できなくても演劇の文化的背景や趣旨を楽しめるよう、能の基礎知識から仮面などの要素、演者の役割、楽器、そして代表的な演目など、押さえておくべき基本情報のすべてを解説します。

能劇の基礎知識

まずは、能の特徴や歴史、狂言との違いといった基礎知識について、簡単に説明します。

初めて能を鑑賞する際に、これらを事前に知っておくと、ストーリーなどの理解に少しだけ役立つかもしれません。 

 

能の特徴

能には、他の芸能には見られない特徴がたくさんあります。例えば、以下のようなものがあります。

主役やその付き人役は、仮面を着ける。

衣装が華やかである。

専用の能舞台で上演される。

歌や踊り、楽器の演奏が中心の歌舞劇である。

神や※1、精霊などの神秘的なキャラクターも多く登場する。

役者の動きが独特である。

大掛かりな舞台セットはなく、使用する道具も最小限である。

コーラスや楽器担当も、役者と同じ舞台上にいる。

現実世界が舞台の「現在能※2」と、亡霊が主役の「夢幻能※3」の2種類に大きく分類される。

 

能の歴史

能は、8世紀に中国から伝わった、アクロバットやマジックなど多様な芸能が含まれる「散楽(さんがく)」という芸能にルーツがあります。その散楽の内容が時代とともに変遷し、滑稽な寸劇がメインの「猿楽(さるがく)」と呼ばれる芸能が誕生しました。

13世紀末には、猿楽を専門に行う集団ができ、物語性が付加されて能の原型ができました。さらに、田植えなどの農事に関連した芸能から発達した「田楽(でんがく)」も流行し、こちらも能の原型となりました。

そして、14世紀半ばには観阿弥・世阿弥という天才親子の出現により能が完成されました。二人は時の将軍、足利義満から寵愛され、現在まで残る名曲を多く残しました。

それ以降も、能は権力者のバックアップを受けながら、数百年もの間受け継がれてきました。また、能は庶民の間にも人気が広がり、地方の村では雨乞いを祈願する能を奉納することもありました。

その後、明治維新での消滅の危機を乗り越え、2001年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました。

※ 足利義満: 室町幕府第3代将軍(在職1368~1394年)

※ 明治維新: 明治時代初期(19世紀後半)に、日本を近代国家にするために行われた一連の社会的・政治的な変革

 

能と狂言の違い

能と狂言は同じ起源をもち、どちらも能舞台で演じられるため、よく知らない方には区別がつきにくいかもしれません。

しかし、両者には以下のような違いがあります。

 

 

狂言

テーマ

古典文学の人物・悲劇

庶民の日常生活・喜劇

衣装

能面・華やかな衣装

仮面なし・簡素な衣装

セリフ

格式高い文語調

親しみやすい口語調

表現

歌・踊り・楽器の演奏

軽妙な会話

※大まかな傾向であり、例外もあります。

 

能の主要要素

ここでは、能の主要要素である、「仮面と装束」や「音楽」、「様式化された動き」について簡単に説明します。

これらは、独自に発達を遂げ、世阿弥が追求した「幽玄※6」な世界観を生み出しています。

 

象徴的な仮面と装束

  能面(仮面)

仮面劇である能にとって、能面は最も重要な道具といえます。

能面の造形は、強いインパクトがあります。能をよく知らない人でも、書籍やメディアで「小面(こおもて)」や「般若(はんにゃ)」といった能面を目にしたことがある人は多いでしょう。

代表的な能面「小面」は、若い女性の役で広く用いられます。何の表情も持たないように見えますが、演者がわずかに面の角度を上げ下げするだけで、豊かな表情が現れます。

これ以外にも、激しい表情をもった能面や、特定の演目だけに使用される能面もあります。

※ 般若: 2本の角と大きく裂けた口を持つ恐ろしい形相の鬼女の能面

 

  装束

能装束は、能の舞台衣装です。

役柄ごとにコーディネートは異なります。カラフルで派手な模様を織り出したものや、手の込んだ刺繍・金銀の箔が入ったものなど、華やかな意匠が表現されています。

 

音楽の伴奏

能において、音楽の伴奏を担当する楽器隊のことを「囃子方(はやしかた)」と呼びます。コーラス隊である「地謡(じうたい)」とともに、作品の世界観を作り上げる重要な役割を果たします。

能で用いられる楽器には、「笛」や「小鼓(こつづみ)※8」、「大鼓(おおつづみ)※9」があり、これに「太鼓※10が加わることもあります。笛以外は打楽器で、演奏する際には「掛け声」をかけます。この掛け声により演奏者は意思の疎通をし、リズムをまとめることが可能になります。

 

様式化された動き

能の演技には、様式化された動き(所作)があります。

所作は、腰に力を入れあごを引いた立ち姿(カマエ)を基本にし、移動は床に足の裏を付け、かかとを上げない歩き方(ハコビ)で行います。

このカマエとハコビの上に、様々な型が加えられます。能の型の基本は、写実的な物まねから無駄な動きを削ったものです。これにより、身体の向きを変える、面を上げるといった、わずかな動作でも能舞台の上で見事な効果を生むことになるのです。

 

能の演者の役割

能の演者には、いくつかの役割分担があります。

ここでは、能を演じるにあたって特に重要な役割である、「シテ」や「ワキ」、「ツレ」、「地謡」、「子方」について、説明します。

 

シテ(主役)

「シテ」は、能の主役のことです。

能はシテ中心主義で、印象的な能面も、華美な装束も、魅力的な舞も、そのほとんどがシテのためのものです。

「夢幻能」というジャンルでシテが演じる役は、古典文学の登場人物の亡霊や草木の精、天狗、鬼などの超自然的な存在になります。

また、「現在能」というジャンルでは、現実世界の人間を演じることになります。

 

ワキ

「ワキ」は、主役であるシテと応対しシテの演技を引き出す役です。

現実世界で生きている成人男性で、僧侶の役が多いです。能面を着けることはなく、シテと違って目立った活躍はあまり見せません。

外出先でシテと出会い、いろいろな情報を聞き出す役目です。

 

ツレ

「ツレ」は、シテに付き従って登場する人物で、重要な役割を担うこともあります。

ワキに付き従って登場する人物は、「ワキツレ」と呼ばれます。

演目によっては、ツレもワキツレも登場しない場合もあります。

 

地謡(コーラス)

「地謡(じうたい)」は、基本的に8名で決められた場所(地謡座)に座り、バックコーラスを担当します。

曲に乗せて、登場人物の心理や情景、出来事などを描写します。時には、シテやワキなどに代わってセリフをうたうこともあります。

 

子方

「子方(こかた)」は、能の子役のことです。

基本的に、子どもが子どもの役を演じますが、子どもが大人の役を演じることもあります。その目的は、シテを引き立てるためだったり、哀れさや神聖さを増すためだったりします。

 

能で使用される楽器

能で主に使用される楽器は、「笛」や「小鼓」、「大鼓」で、太鼓が用いられることもあります。これらの演奏者を「囃子方」と呼びます。

小鼓や大鼓は掛け声を掛けながら打ちます。この掛け声により、内容や場面に合った情趣が生み出されます。 

 

「笛」は、「能管」と呼ばれる横笛です。

唯一のメロディーを演奏する楽器ですが、西洋の楽器のような調律はされていません。場面に応じて吹き方が変わり、舞台に独特の情緒が加わります。 

 

小鼓

「小鼓(こつづみ)」は、皮面の直径20cm程度の小型の鼓で打楽器です。

右肩に乗せて右手で打ちます。打ち方によって様々な音を奏でることができ、威勢のいい掛け声と軽快な打音により心地良いリズムが生まれます。

 

大鼓

「大鼓(おおつづみ)」は、小鼓よりひとまわり大きい鼓で打楽器です。

左膝に乗せて「指皮」というサックを着けた右手で打ちます。

小鼓のような細かい音色の違いは出せず、力の強弱で打ち分けます。威勢のいい掛け声と鮮烈な打音により心地良いリズムが生まれます。

太鼓がない場合は、大鼓が曲の進行を統率します。

 

代表的な演目

引用:能「井筒」を終えて|観世流能楽師林本大「大の会」

現在、能の演目は約240曲あり、そのうちよく演じられるのは120曲程度です。

その中には、「源氏物語」や「伊勢物語」、「平家物語」などの非常に有名な日本の古典文学作品を題材にした演目も多いです。

ここでは、そのような演目について紹介します。

ちなみに、能の演目は、上演順序によって初番目物から五番目物の5つに分類されます。それぞれの一般的な特徴を以下にまとめました。

 

初番目物

神が主役の演目

二番目物

武士が主役の勇壮な演目

三番目物

優雅で美しい演目

四番目物

他の四つに分類されない演目

五番目物

人間以外のキャラクターが登場する演目

 

源氏物語

「源氏物語」は、11世紀初頭に紫式部が執筆した日本最古の長編小説です。主人公の光源氏を中心とした、きらびやかな恋愛模様が描かれ、世界中に作品のファンがいます。

源氏物語を題材とするものには、例えば以下のものがあります。女性の亡霊が主役の優美な演目が多くなっています。

 

演目

五番立

シテ

半蔀(はじとみ)

夕顔の上

夕顔(ゆうがお)

夕顔の上

葵上(あおいのうえ)

六条御息所

野宮(ののみや)

六条御息所

須磨源治(すまげんじ)

光源氏

住吉詣(すみよしもうで)

明石の上

玉鬘(たまかずら)

玉鬘

落葉(おちば)

落葉の宮

浮舟(うきふね)

浮舟

 

伊勢物語

「伊勢物語」は、作者不詳の歌物語で、成立年代は9~10世紀頃と考えられています。主人公の男は、実在した貴族の在原業平がモデルとされています。この男の恋多き人生を描いた作品で、多くの和歌が登場しミュージカルのようにストーリーが展開します。

伊勢物語を題材とするものには、例えば以下のものがあります。

「雲林院」と「小塩」は、男性の主役が優美な「序之舞」を披露するレアな演目です。また、「井筒」は、世阿弥の代表作にして能の最高傑作とも称される演目です。

 

演目

五番立

シテ

井筒(いづつ)

紀有常の娘

杜若(かきつばた)

杜若の精

隅田川(すみだがわ)

梅若丸の母

雲林院(うんりんいん)

三・四

在原業平

小塩(おしお)

在原業平

 

※ 序之舞: A type of very quiet, elegant dance in Noh

 

平家物語

「平家物語」は、作者不詳の軍記物語で、成立年代は13世紀の前半頃と考えられています。平家一族が、栄華を極め没落するまでを壮大なスケールで描いています。

平家物語を題材とするものには、例えば以下のものがあります。武士の亡霊が主役の勇壮な演目が多くなっています。

 

演目

五番立

シテ

八島(やしま)

源義経

敦盛(あつもり)

平敦盛

清経(きよつね)

平清経

忠度(ただのり)

平忠度

船弁慶(ふなべんけい)

静御前、平知盛

熊野(ゆや)

熊野

 

※ 平家: 平安末期(12世紀後半)に政権を握った平清盛の一族

 

h2 まとめ

この記事では、日本の古典芸能「能」について紹介しました。

能は、14世紀に観阿弥・世阿弥により完成され、数百年受け継がれてきました。「源氏物語」や「伊勢物語」、「平家物語」などの古典文学を題材にした演目が多く、歌・踊り・楽器の演奏でストーリーが展開します。

最も重要な道具である能面は、無表情に見えますが、演者が少し上下させるだけで豊かな表情が現れます。また、「シテ」が主役で、「ワキ」がシテの引き立て役、「地謡」がコーラスなどと様々な役割があり、音響は「笛」、「小鼓」、「大鼓」、「掛け声」とそれぞれ重要な役割を果たします。

能は、一見「理解できなくて楽しむのが難しそう」という印象があるかと思いますが、この記事で学んだことを活かして気楽に鑑賞し、自由に楽しんでいただければと思います。是非一度、能の世界に足を踏み入れてみてください。

 

 

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