内と外のあいだ
日本建築の「境界」は、ひとつの線として存在しているわけではありません。
庭があり、軒下があり、その内側に縁側がある。 さらに障子や襖を隔てて、畳の部屋がある。
外から内へ移動するにつれて、 空間の性格が少しずつ変わっていく。 その連続そのものが、日本建築の大きな特徴のひとつです。
距離を調整するための場所でもある。
縁側という場所
縁側は、単なる「廊下」ではありません。
家の内部と庭のあいだに位置し、 人が座ったり、話したり、庭を眺めたりする場所でもあります。
部屋の中に完全に入るわけでもなく、 かといって庭に出てしまうわけでもない。 その曖昧な位置に、縁側のおもしろさがあります。
ここでは、庭もまた建築から切り離されたものではありません。 窓や縁側から見える庭は、室内で過ごす時間の一部になります。
光も、境界を越えてくる
障子もまた、外と内のあいだにあるものです。
障子を閉めれば視線は遮られますが、 光まで完全に遮るわけではありません。
朝の光、曇りの日の柔らかな明るさ、 夕方の色。 外の変化が、紙一枚を通して室内に伝わります。
障子や襖の存在によって、 部屋は固定されたひとつの空間ではなくなります。
開ければ庭とつながり、 閉めればひとつの部屋になる。 そのときどきの過ごし方に合わせて、 空間の距離を変えることができます。
土間—外が家の中に入る
反対に、外の世界が家の内部へ入り込んでくる場所もあります。 その代表が土間です。
土足のまま入ることのできる土間は、 屋外と室内の中間に位置する空間として、 かつての日本の家でさまざまな役割を担っていました。
仕事場、台所、収納、出入りのための場所。 生活と外の世界が、完全には分離されていません。
「外にあるもの」を家の外へ追いやらないところにもある。
建築と庭を分けない
日本の伝統建築を見るとき、 建物だけを切り取って考えると見えなくなるものがあります。
庭、池、石、木々、光。 それらは建物の外側にある「背景」ではなく、 建物の中から経験される空間の一部でもあります。
建物から庭を見る。 庭から建物を見る。 その両方を行き来することで、 建築の経験そのものが変わります。
だからこそ、日本建築では「建物」と「庭」を 別々のものとしてではなく、 ひとつの体験として考えることができます。
なぜ「境界」が重要なのか
もちろん、日本のすべての建築が同じ考え方でつくられているわけではありません。
けれども、縁側、軒下、障子、土間といった空間を見ていると、 外と内を完全に切り分けるのではなく、 そのあいだに余白をつくるという考え方が繰り返し現れます。
そこには、光や風を取り入れるという実用的な理由もあります。 同時に、季節や庭との距離を調整しながら暮らすための 空間的な工夫もあります。
「境界」は、何かを遮断するためだけのものではない。 その間に、人が過ごすための場所をつくることもできる。
境界の「あいだ」にあるもの
BYAKKOが古いものに惹かれる理由のひとつは、 そこに時間の層が残っているからです。
建築も、器も、衣服も、 使われることで少しずつ変わっていきます。 傷がつき、色が変わり、手を入れられる。
そうしたものを見るとき、 「新しいか、古いか」という二つのカテゴリーだけでは 捉えきれないものがあると感じます。
日本建築の境界について考えることも、 その「あいだ」にあるものを見ることなのかもしれません。
「縁側」はひとつの形だけではない
一般に「縁側」と呼ばれる空間にも、 建物や地域、時代によってさまざまな形式があります。
外部に近い場所に設けられるものもあれば、 建物の内部寄りに設けられるものもあります。 その違いを見ると、 「縁側=廊下」という単純な理解ではなく、 内外の距離を調整するための空間として捉えることができます。
境界の、その先へ
建築を見るとき、 壁や柱だけを見るのではなく、 そのあいだにある空間を見る。
どこから外で、どこから内なのか。 その答えが曖昧な場所にこそ、 建築のおもしろさが残っているのかもしれません。